ヨ診捨てて

死にたいの代わりに結婚したいって言いまくって叫ぶわたし。ほんとにほんとに死にたくはないし、かといって、結婚できなくてもいいし、でも、ね、死にたいっていうのが悪なら、結婚したいならいいだろ!?みたいな逆ギレによって結婚したい結婚したいを連叫。まじ気持ち悪いねでもさ、結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい!!!!!!!!!!!!(にげたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)

 

私の根本的な不安を医者は分かってくれなかったしかし人間だからそういう人間もいるだろうから仕方ない運が悪かったただしこれだけは言えるあいつが悪い

こんなことどうしようもないこと言ってどうするんだってなるけど男に生まれた時点で女の物理的苦痛を理解出来るはずがないのだ。ならそれは埋めるしかないわかろうとするしかない。私だって男の子の苦しみは一生理解できない無理。だけどわかろうと歩み寄る、わからないから無視言うことだけ聞いていろそれでいて治療無理だったらダメでしたなんてふざけるな、私の身体なんだ私の弱くてすぐ病気になるほんとポンコツでダメで弱っちい身体。それでも一生懸命生きてるんだ。生きてくれているんだ私の意志とは裏腹にでも常に生きてくれているこの身体に対してのそのぞんざいな扱いふざけるな。お前を一生私は許さないそしてもう絶対に会うこともない。わたしからさようなら、バイバイ生まれ変わっても関わらないでね忘れるね

 

結婚したい生活がしたいたのしいことがしたいひとりでずっとこどもみたいに

そんなこと、ゆるされるだろうか

そんなこと、君と

 

 

 

縷縷夢兎

縷縷夢兎を知ったのは大森靖子さんが衣装として身に纏っていたことからだった。正直「縷縷夢兎」が何なのか私には解らなかった。だってただの服という存在意義を超越していた大森靖子さんが着ていたものは大森靖子さんにしか着れないものだった衝撃だったむせ返るほどの圧倒的な輝きがあったから。

これをつくったひとはお母さんみたいで最高で最悪で素晴らしいほど痛々しいほどでとてつもなく女の子でどろどろで決して人間は分かり合え無いということを誰よりもわかった上でこんなにも寄り添おうとするのかと感じて想像し、涙が出た

言語化など出来るはずがなかった言葉を紡げば紡ぐほどかけ離れていくTLつまらない言葉で固められていくのが耐えられなかった縷縷夢兎が軽くて何も無い中身がスカスカのかわいいに利用されるなんて許せなかった穢されていくような気持ちになってどうしても素直に縷縷夢兎のことをTwitterに書いたりできなかった感想なんか言えるはずがなかったSNSで消費されていく縷縷夢兎の言葉がなんだか憎らしくて恨めしくてでもそれを内包するように縷縷夢兎はその世界に凛として存在していた。どんな素晴らしい言葉を羅列させてもどんな文豪が表した美しい表現も比喩も縷縷夢兎の前だと霞んでしまうと思った。むしろバチバチのJKが使うようなその時代の流行りの言葉で言語化させる方がもっと縷縷夢兎の本質を表せるような気がするのは私だけかな。でも普通でもなくjkだけど全然jkじゃない。どこにもいけない身体の、どこにも馴染めないどんなアンダーグラウンドにも存在できない個体がわたしだから、言語化するなど以ての外のように感じられたのだ。私はじっとわんわん泣きながら縷縷夢兎をみるのだったこの画面を通して。

どんな手を使っても本当は今回の個展に参加したかった私もそこに存在したかった縷縷夢兎と共に、それがたとえ5分でも1秒でも良かったその瞬間に今の自分を持つすべてを使う価値があると思った。

だから今書いている文章は言い訳でしかない、ごめんなさい東佳苗さん。絶対に会いに行って目を見て私の口で直接伝えるので、約束するのでどうかこの駄文を書くことを許して下さい。

愛してること、こんなにもおもっていることが全部嘘になるなんて無かったことにされるなんて、言葉を吐き出して汚すよりも烏滸がましいけど嫌だと思ったのです。

私は今までどんなに大好きな人や愛する人でも嫉妬をしたことが殆ど無かった。執着はしても嫉妬という感情がわからなかった愛について考えるとき嫉妬ということについては本当に他人と理解し合えなかったしまずどんな気持ちかもさっぱりだったから人としてやっぱり欠陥があるんだな、とその度に、ヤキモチを焼く女の子がより可愛くみえてあちら側にはいけないんだと思ったりなんてしていた。

そんなわたしだけど、縷縷夢兎の存在を知り吟味していく中で私は初めて本当の女の子になれた気がした。縷縷夢兎と向き合って縷縷夢兎を心の底の自分の全てでみるとき、決して綺麗なものだけではない。どちらかと言うと心を掻き乱されるし、かなりちょっとだいぶつらいし苦しいし、胸が締め付けられるような感情を味わう。悲しい、さみしい、だけどそれらを全部突き放すことなく、全部包み込んでただ綺麗な表向きだけでつくられたものでは無いからこその絶対的なもはや神秘的とも言えるほどの強烈な輝きを放って言葉をも飲み込むのだと思う。

縷縷夢兎は聖母のようだ。私仏教徒なんだけどさ。

優しいだけではないし、縷縷夢兎が指すのはただの「女の子」ではない。

大抵が指す「女の子」は「女の子」という理想、イメージ想像。それに外れたら女の子じゃねーのかよそれに人によって全然違う、都合よく私たちを縛る。誰かの都合の良いように「女の子」っていう言葉に当て嵌めて殺される。だから私は女子力なんて言葉滅びればいいと思ってる。

縷縷夢兎はひとつの何かになるのではなく、着たひと来た人見た人観る人全てを、それぞれのかたちで寄り添い、それぞれそのひとりひとりのいち個人として存在意義を与えてくれる。最悪で誰にも言えない過去も世界の果てみたいなボロボロのあの日も、私だけにしかわからない素敵な秘密もベッドでバタバタ奇声上げて喜んだ誰かとのやりとりも、つらくて今すぐ死にたい想いを飲み込んだ夜もそれを何度も超えてきたことも愚かさも事象の儚さも大っ嫌いな居場所の無い自分の部屋も全部、どれも欠けることなく存在してよかった、むしろそれがあったからこその輝きなんだよ、と縷縷夢兎は言ってくれる。

そのことは大森靖子さんにも感じたことだ。でも大森靖子さんは一体誰が彼女を包み込んで肯定してあげれるのか、と思ったら私はやるせなくて悲しくて、願った。こんな私がこんな風に思うこと自体おかしくて滑稽で本当に自惚れんなよって感じなんだけど、本当に切実に願った。人生かけて心の底から本当にだいすきな方だから。

でもそんな心配はつまらないことだった。東佳苗さんが大森靖子さんを包み込んで、誰よりも輝かせていて、そして大森靖子さんもまたぎゅっと包み込み返すのだな、と。

 

縷縷夢兎は願いであり肯定であり形無いものでありそしてたしかに存在する世界であり、それはわからないひとには一生わからないと思う、だけどわかったと思った瞬間に消えてしまうものだとも思う、常に変化しキラキラとラメのように雪のようにヒラヒラとしているから、ちゃんとみて、感じて、視覚を通り越して感じなければと思う。

その度に自らの匂いや顔や存在に嫌悪しながらも必死に言葉を紡いでいきたい。言葉は自分の死骸だけど、腐敗するし汚いし死にたくなるけど言葉なんて、と何度も思うけど、その死骸を懸命に積み重ねた先にみえる、「わたしと縷縷夢兎」を私はみてみたいから。

東佳苗さん、この度は個展の開催本当に心よりおめでとうございます。そしてありがとうございます。

都合良く解釈しているところが殆どだと思うし実際に行ってみていないのだから烏滸がましいと思います。

YOURSのことにも何も触れていないことを書いてしまったけれど私なりに考えて感じています、そしてこれからもずっと考え続けます。それがこうだと答えを出すよりも大事なことのように思うから。

また、きっと何度も打っては消して打っては消してを繰り返しながら短い文章に魂を落とし込むように丁寧に言葉紡いで素敵な写真と共に個展に行ったという報告してくれるTwitterの方々。

悔しい気持ちを抱きながらも画面越しにでも感じることが出来て本当に本当に感謝でいっぱいです。

私は行けなかったことはとても悲しいですが、今の自分の境遇や状況を嘆いてはいません。ちゃんともがいてちゃんと傷ついて毎日をできるだけ丁寧に本質だけは見失わなければきっと迷い道でも寄り道しても蟻地獄な日々でも這い上がれると思っていますそれを知っています。

このことを確信に変えてくれたのは紛れも無く縷縷夢兎だと思います。

私はダメダメだけどほんとクズだけどでもきっとこんな私でも誰かの希望になれるかもしれないから、今この生活を編んでいきます。

私も縷縷夢兎を着られるような人間になりたいですそしてわたしもその本質を掴んで、感じて、受け継ぎわたしにしかできないわたしのやり方で素敵なものをつくりたいです。がんばります。

拙い文章で申し訳ありません。

だいすきです。

つうっと涙がこぼれた鈍い痛いが腹部をじんじんと侵す。初めて産婦人科に行く検診が痛すぎて思わず笑った痛過ぎる、帰ってきてから少し経ってからも痛みは収まらず、強くなる一方でトイレいったら血が出た、生理。ほんと、なに

痛い痛い痛い

どうしようもなく虚しくなり、ただただ悲しくて自分でもわからないが静かに涙が出た

ため息が出る

生きてる

息してる

生きる

 

しか

 

 

土曜日の夜はびーびー泣きながらかゆくてかゆすぎて寝れなくてもうすべてを放棄したくなった私はなんで生きているんだろう理由のあるナシに関わらず私には生きるという選択肢しかない

 

勿論頑張るしかないんだけど、わかってるし、やるんだけどね、私は靖子ちゃんや好きな人達に近付けるんじゃないかって思うとそれがとても嬉しかったし、希望だったし、とにかく、 好きな人が日常になることに対してとても期待していた。やりたくないこと、我慢すること、耐えること、いたくない人と取り組むこと、いたくない場所にいること、そして皆悪くないこと全部全部私にとってそれが日常で、ずっと妄想して自分の理想を想像してそれに憧れてただやってきて。不満がある訳では無いよただ好きなこと好きな物好きな音楽好きな人、わたしにとってそれは日常にはならなかった。日常には無かった。日常ではなかった。だからそれらが日常になる為にただそのことのために全てぐっと堪えられている。

 

私はそれらが日常となり、生活を送ることが私の夢なんだ。

モチベとかやる気とか初めからそんなに無い。

私にとって夢も希望も楽しみも生きる意味もぜんぶそれらの為だ

私は日常を愛することが出来ないそれは自分を愛することが出来ないということでもある。今の自分が許せないし好きではない私のことは期待しているとても希望を持っているけど今の日常は望んでいない悲しい辛い苦しい助けて欲しい

私自身すぐ泣くし自分が思ってるよりネガティブみたいだし、全然ぽんこつだし体力無いしすぐ風邪引くし物覚え悪いし大したことないけれども、ぜったい自分の夢見る日常を叶えるためだから耐えられるだけだよふざけるな安易でバカで可愛いだけの女の子と一緒にするな私はそうなれない違うところで勝負流星ヘブンの歌詞でa.叫びを閉じ込めたその部屋こそが居場所だろa.不幸に守られた君を引きずり出したいってあってその後に生きる方を選んでく生きるほうを選んでくっていう歌詞が続くこの部屋で起こってきた全てを無理矢理飲み込んで生きる方を選んできたあの時の自分を全部絶対に報わせてあげたい

ただ私は好きな人と好きな部屋で深夜にコンビニで買ったアイス食べながらぐだぐだしながら映画みたりする日常に夢をみているだけなんだ。本当にそれだけなんだよ

 

 

一週間前くらいの私くそってる

失踪が流行ってるみたいだし、頃合かなーなんて思ってるのだ!
Twitterもインスタも、LINEも特定の誰かに送るメールも気をつかってしまって、私はインターネットは節度守りつつでも言いたいことを言う場だったのだけれど、そんなことは出来なくなったのだ
だから誰かに伝えたいのか何を言ってほしいのか誰に何を求めてるかわからないので、独り言のようになんにも考えず言えるとこがあればなーなんて思っている
モラトリアム期間がほしい
というか
ここにいては、なんというか、もうだめなのだ
目の前の中身のない優しさに騙される歳でもなく、気休めにもならない心配は、嬉しいけど苦しくて、そう、甘ったるい缶のおしるこみたいなのだ
自販機のあの甘ったるくて、どろどろした液体が美味しいと思うのは寒くて仕方ない感覚が鈍くなったそんなときなのだ
それはどうでもいいくて
美味しく感じられない時おしるこのせいにするか、自分のせいにするか、それは人によって違うけど、私は後者である。
そういうことなので、おしるこみたいな優しさや心配は、時に凶器なのだ
いや、でもお金を払って成り立つおしるこは、嫌いではない
あくまで取引。代価を払っているのだから、相手のせいにしてもいいのだそう、それが許される、気持ちの部分では少し楽である
しかし、自分はお金を持っていない。それでもおしるこ自身が自販機からコロコロと出てきて、それを受け取るとあったかくてとても感謝の気持ちが湧いた。いざかぽっと開けて飲んでみると甘すぎて飲めなかった。この場合自分のせいでしかなく、あたたかさをもらったのに飲めない自分を責めることになるだろう
はい。主人公自爆。

その主人公が次からどういう風に考えるようになるのかは凡人でも理解できる。おしるこを受け取ることをやめるのだ。おしるこのために。自分のために。
冬で凍りつくように寒い夜の自販機を前に、お金を持っていない主人公は光と温かさを求め、立ち尽くす。しかし、おしるこが勝手に眼の前に出てきても、手に取ることはなく、寒さに打ちひしがれて、そのまま死んでしまう。ジ・エンド なんてねふふふふにゃー

しいたけ占い2018上半期

意外にそして非常に強い晴れやかな孤独を感じている。孤独の味はこんなものだっただろうか。びっくりだ。お姉ちゃんが教えてくれたしいたけ占いがとても心にストンと入ってきて私を抱きしめてくれるような感覚があった。欲しい言葉が、有りきたりでもなく怒るのでもなく、ちょうどいい温度で私をみてくれているような言葉が並んでいて、意味の持つ単語がとても気持ちよかった。
相変わらず女子トイレの個室にこもってしまって、なかなか出られない。私は何者だ、ちっとも変わっていなかった。だけどたしかに動き出しているということを本能的で知っている。だから理由のつかないこの孤独が少し晴れやかで心地良い。誰がなんと言おうが、私が私をつくっていく、そして幸せにするのだ。原点は何も変わっていない。私にとって大事なことは見失っていない。準備も装備も素材集めも何もかももういいじゃないか、私は今飛び込みたくて仕方が無い。とっくに飢えに飢えている獣なのだ。駆け上っていく龍なのだ。どんな未来もやってくるといい 私は大丈夫 戦える そしてそっと安心することもできるのだ

ひとしきりカウンセリングルームで自分の思いや考えをぶちまけたところかなりスッキリした。でもカウセリングの先生はちょっと疲れていたように思う。
だけど私は話した、喋った、ただ自分のことをひたすらに話し続けて、溜まっていた言葉が湯水のように溢れ出てきた。私の考えていること、本当にしたいこと、本当に望んでいることはこういうことなのだと再確認した。
それに対して先生は間違っている、とも、正しい、とも言わなかった。ただ私の話を聞いていた。そしてときどき頷いたり、何か思考してイメージを膨らませるように遠くを見ているだけだった。
私の言葉は何かの言葉を催促しているかのようだったかな。私はわからないけれど、自分のありのままを自分自身が見つけ、認め、信じ、そして言葉に出来たこと、それを褒めてあげたいと思った。
準備万端の状態で何事も迎える私にとって、今回経験する受験は、不安でしかなく自信もなくて当然だろう。しかし、これから経験すること全て、初めてであり、これからに繋がる貴重かつ素晴らしいものであることを私は忘れてはならない。すべての事情には必ず意味があるし、そういうふうに進んでいく。
まず、明日の試験が私にとってとても大きな意味があること、貴重で初めての体験だということはわかりきっているのだから、ある意味楽しめばいい。

ただおもうこと

ほんとうの将来の夢は、ほんとのメイドさんになることだった
2番目は猫になりたいだったので、
ちょっとだけ思考することが得意な私は現実的ではないとすぐに思った。
お金は幸せではない、というしそのことは重々理解しているけれど、
私の苦しみはお金が無かったら消えてくれない。
だから私は早くたくさん働きたい。それが出来るのも時間の問題だと知っている。
今の内に頑張らなくては、が積み重なって今は元気がなくなってしまった

だけど諦めることはないので、何年かかっても人より遅くてもきっと
ちゃんとわたしらしく

ただ今、少しだけ何も気兼ねのない羽休めがほしいのです。