自分の「世界」 自分の「感覚」

中学3年の夏に書いた文章。ぐだぐだぬ。


私は今、生きていることがこわいです。言葉を受け入れ、言葉を伝えることがこわいです。私は私という人格を確立する過程の途中なのですが、根本的な「私」はほぼ完成してしまっていると思います。そんな今、普通ではない自分の思想や世界感、気づきたくない自我が芽生え、知ってしまいました。そんな葛藤や言葉では言い表せない感覚。原因のわからないこわさ。そして誰にも伝えることのもどかしさ。きっとこの先もずっとこの感覚を持ち続けていくのだと思います。それはその感覚こそが「私」を創っているものだからです。そこで私は疑問を抱きました。同じ家庭で育ってきた姉はどのような人格、また思想を持っているのかと。その疑問をぶつけてみた結果自分の認めたくない気持ち、私の本当の心の中の世界観思想を新たに気づくことになりました。社会論文とはほど遠いですが、少しでも何か残るものがあればいいなと思います。姉は高校三年生で私と同じ幼稚園、小学校に通い中学受験し、今私が通う中学校に進学しました。私から見た性格は小学校まで大人しく本が好きでよく読んでいました。仲は悪かったです。けんかする内容はいつだって「私が姉のひとりの世界を侵害したから」です。姉はその頃からひとりの世界を大切にしていたのだと初めて知りました。私は小学生の頃、女子の価値観や行動を理解できても賛同することができず、適度に関わりながら、誰とでも仲良くしていました。みんなの意見を優先的に取り入れ、そこに自分の意見も加える。誰に対しても分け隔てなく接する。といった相手の楽しさを素直に自分も楽しいと感じていました。友達男女共に多かったです。高学年になると、一人の友人とのけんかがきっかけですべての女子からいじめられるようになり、私の友だちが思う「友達」と私が思い求める「友達」には大きな差があることを改めて知りました。念願であった中学に進学すると友達もでき部活も楽しかったです。でも、どこか雰囲気に馴染めずにいたことを自分を殺すことに慣れていた私は気づかないようにしていました。今はそう感じているけど、きっとすぐに馴染める、そう感じていました。姉が中学生になってからは少し性格も変わり、穏やかで感情なども前に比べると表れていたように思います。その頃姉は価値観が合う友達に出会え、「人と関わることは楽しいことだと知った。生きてて良かったー」と思ったそうです。今まで人に対して「いいなあ」と思っても本当に羨ましいと感じることのなかったけれど、姉を初めて羨ましいと感じました。その時、私には本当に友達と呼べる人がいないんだなと気づきたくなかったことに気づいてしまいました。家族に対しても好きだけど、好きでいたいから嫌いになりたくないから一定の距離を置いて接したいと思うようになりました。
ひとが惹かれないものにすごく惹かれたり、そこに美点を抱いたりするようになり、これが自分の世界なんだと知り、最初は否定していましたが、認めることができるようになりつつあります。  
私はずっと寂しいのかもしれません。どんな時もできるだけ笑顔で、人に明るく接し仲良く頑張っているのが楽しいと思っていたけれど。私は認めてほしいのかもしれません。私という人格を私の世界を自ら殺し否定し続けていたけれど。そんな私は私にしかない世界感思想を私らしく表現することが夢です。そしてまだ出会っていないけど、私の感覚に近いものを持っている人がいると思います。でもいたとしたら、少し嬉しいようなやっぱり悲しいような気持ちになると思います。   
今の私の将来の夢は看護師になることですが、したいことは他にたくさんあります。今は看護師になりたいという夢を叶えるために日々勉強に奮闘し、何より難しい「通学」という課題を成し遂げる必要があります。どんな道であろうとも夢を見失わず、したいこともできるように一生涯自分の使命を問い続けながら「私」でいられる友達をつくりたいです。またこの感覚を自分自身が受け止め、共に生きていけるように、そして何か人を救う術にならんことを祈ります。

ずっと変わらないもの

ずっと変わらないものなんてないよね
なんでも、変わってく。
流れるように、さらさらーと。

だけど、変わらないものもあるんだって知った
変わればいいのに。
なくなってしまえばいいのに。

そう思ってそう願ってだけど、
消えてなんてくれなかった

君の言葉を探してる
どこかで、まだ君がいるんじゃないかって

ねえ。
どこにいますか

ねえ。なんで。

車の中、“誰か”に抱き締められながら、静かに涙を流した。
ただ音もなく瞳がゆれる。
窓の外は青々しい葉をしっかりつけた木が、気持ち良さそうに風の気まぐれに手をつないでわらっていた。
なんて綺麗でいられるんだろう。

光を受けて輝いているにしろ、私とはかけ離れている。
「今日、晴れてるね」
「さっきまで曇ってたよ」
「そう?」
そういって私の手を握った。
“誰か”の手はとても冷たかった。
ああ、何で私はこんなことをしているんだろう。
こんなことをしないとやってられないんだろう。
ただひたすらにかなしい。さみしい。
「ねぇ」

「ん?」

「なんでそばにいてくれるの」

「好きだから」

「なにそれ。変なの」

そういうと私は笑った。誰かは強く抱き締めた。
これ以上、私がボロボロとはがれて落ちていかないように
ぎゅっと誰かは抱き締めた。
私も、ずっとぬけだしたいのだ。ここから。
でも、できない。
私は笑う。静かに。
あとは崩れていくだけだ。

ああ、空がキレイだ。

空っぽ

自販機で買った無糖の紅茶 

るいの手を暖めて、そして身体を暖めてくれる

空っぽになったそのあとはぽいってごみ箱へ消えてく



るいがはいたため息

白くほんのり手を暖めてくれる。

お空に吸い込まれたそのあとは、
なんにもなかったように消えてく



君が言った言葉、るいからでた想い、

ふわふわ心が踊って、暖かくなって染み渡る

君がいなくなったそのあとは、全部消えてく


るいが消えてく。

消してしまえばよかったのに。楽なのに。

君が言った言葉が頭のなかに響いて

消してしまわないようにるいに言う
 


だから、るいはできない。

半分になったるいを抱えて

るいはなんとか前を向く

前を向くことしか知らないから、

前向くよ。頑張るよ





始まり、

終わりと始まりは切り離せないもので、

終わりがあるから、始まりがあるし、

始まりがあるから、終わりがあるの。

 

だけど、いつも、終わりが来るのを恐れてる。

とてもこわくて、いたくてくるしくて、息ができなくなる。

そして始まるのさえこわくて、混乱する。

 

終わりがなるべくゆっくりきますように。

るいがそのひとにとっていい影響を与えれますように。

ずっと健やかでいてくれますように。

楽しいこと、綺麗なものを一緒に共有できますように。

もっともっときらきらしたいな。

 

隣で笑えてたら、いいな。

隣で泣いてるといいな。

隣で手をつなげるといいな。

 

空も、心も、君も、るいも一緒になって笑うとき、

おもいっきり、じゃんぷしよう。

否定的

否定されるってすごい怖いことだよね。
ひとと違うって
いいことでもあるかもだけど、
それを周りが否定したら、
それはいいことで存在しない


否定されるのが怖くて
なにも言えなくなる

まぁ、それももう慣れた

最近は夢でうなされることもなかったのに
今日は最悪。

だめだ

いたい