卒業式
この電車に乗ることももう無いと思うとなんだかドキドキする。
私は結構晴れ女だから行事ごとは晴れることが多い、大事な時ほどより。
だけど今日はあいにくの雨で、それが案外心地いいと思うのは何故だろう。祝福の雨だと思おうかな
たくさんの人が行き交うこの駅とか、学校の廊下とかたくさんの言葉が行き交う教室とか、私はすごくこわくて嫌で大切でまっすぐ顔を上げていられないことの方が多かった。自分に自信がないっていうわけじゃないそうじゃなくて、ただこわくて鬱陶しくて自分なんか見えなければいいのにって呪うように願って歩いた。歩いても私は歌なんて出来ないけど、歩くほどにこのままどこかに行ってみたいなとか、絶対にこうなるんだって思ったり色々思考を膨らませてはシャボン玉みたいにバンバン割って、きゃはきゃは一人で笑って楽しかった。
みんながいう、仲間とか絆とか全然これっぽっちもわからないけどただ君たちのことは嫌いじゃない。でもこれからどんどん忘れて、忘れられてなにも無くなってしまうだろう。私がつまらなさそうに今日も世界をみつめていても、それすら君たちとは交わらない。
私の青春の全ては黒くて暗くて、キラキラしていて、春ではなかった。これから春が来るけど私にはまだ来ないだろう。
私はまだサナギで準備中真っ只中だから
この醜さを私は愛していた。
卒アルの写真が超気持ち悪くても、記念写真に写っていなくても、クラス会に行かなくても、寄せ書きが埋まらなくてガラッガラでも、これからの幸せになんの問題もない。どこにもいかなかった身体で私は引きずりながらも前に進む。
どこにもいけなかった身体で私は私だけの愛を知って、生きて、幸せになる。
希望なんてとっくに無くて、自分で毎晩捏造して夢をみて焦がれて、涙が出てそれを結晶に変えてキラキラ光らせている。それを毎晩毎夜、毎朝、希望をつくりだす。どこにもいけなかった身体はとんでもなく重たいけど、心は澄み渡るように綺麗でいたいから
明日がきたらゆるすよ。
何をされてもゆるすよ。やさしくするよ。君は私に触れることはない。
どんな時もどんなときもどんなときも。
勘違いをしていた
私はまだまだ金魚だった。
好きな理由もわからないまま、今日を迎えた。
私を祝う人の目に私は存在していて、見えているのかな
たくさんの人が言葉が気持ちが行き交う中で、私はいないと同じじゃないといいな
おめでとう、バイバイ
さようなら、またね
バイバイ、ありがとう