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今日、何度目かわからないカウンセリングに行った。カウンセリングの先生は結構若くて、男の人で、だけどふんわりした感じの雰囲気の人で、割と気に入っている。

先生は、私の話を時に面白そうに、ところどころ質問をしたりしながらも、基本的には私の話したい内容を聞いてくれる。

今日は、週に2,3度訪れる謎の発作のような落ち込みとその心理状態について説明して、話をした。いい加減、そういう落ち込みを毎度のように繰り返す夜をなんとかしたいという内容だったかな、

そう、これから普通に大人をしていくうえで、なおすべきところなのは、間違いない。

だけど、そうすべきだと思うのと、実際になおしたいと思うかはまた別で。

 

謎の発作の落ち込みは、急にやってくる。自分で自分の機嫌をとろうとするけれど、それはことごとく失敗に終わる。制御しようもない落ち込みが襲ってくるときは、本当に自分を押さえられない。それはとても危険だと自分自身感じる。

だけど、人前ではそれは出すことはない。だから、実際に危ない状況に陥った時に気づける人などいないだろう。

だからこそ、カウンセリングはとてもストッパー的な要素として、大切だと再確認した。

 

人のことを好きになることは、とても有意義で尊く、素晴らしい。

なのに、なんで自分はそれをどんなことよりも望んでいるのに、こんなにも曲がっているんだろう。心配や死んでしまってどれほど悲しむかで、好きかどうか図りたい、そうしないときっと不安で、疑い深いこの自分はずっと考え続けるんだろうと思う。やっかいで、付き合ってられない、自分が幼稚で浅はかな部分を今日は痛感した。

それでも、それが私なのだ、それでも、愛されるのだろうか、悲しいおやすみなさい。