2023年が始まってもう1ヶ月経とうとしている。

初めて2022年のお正月は家族以外の人といつもと違うところで過ごして次の年を迎えた。

私のことを抱きしめて歓迎し、美味しい料理を出して、受け入れてくれた。嬉しかった。

旅行中に自分の考えや気持ちがわかってもらえないと感じて疎外感や虚無感で叫び出したくなったが、ちゃんと受け止めてくれた。仲直りできた。

 

受験はダメだった。

だけど、今年に入ってから明らかに脳のモヤみたいなのが取れ去って、クリアになった様な、曇りが晴れた様なそんな感じで、死にたい気持ちが頭の中を駆け回って暴れ出すことは無くなって、自分の感情がよりくっきりと浮き出してくる。

何もかも鬱は鈍くさせる。その鈍さでなんとかやっているからだろう。

 

職場は相変わらず野菜屋さんで働いていてみんな受験の件では励ましてくれて私の為に沢山アドバイスしてくれる。なんて優しいんだろう

 

愛されているのだな、と思う

 

私はきっとママが欲しかった

皆んなママが欲しいんだ、要らない人なんてきっといない。

私は私だけのママが欲しくて、寂しくて、仕方がなかったんだと思う、だから君のことも貴方のことも求めて傷つけた、沢山酷いことも言った。傷付けて悲しんでそれでも愛して抱きしめて欲しかった。そうやって愛されてるか感じたかったんだ。

薄々気付いてはいたけど認めたくなくて認めたら罪悪感や申し訳なさでもう2度と私のママが欲しいなんて思っちゃいけないような気がしてそう思う自分を殺してしまったら、もう希望は無くなってしまうから生きていけないと確信してしまう気がして、こわかった。だから、そうやって傷付けた。本当にごめんなさい。そして、あの時私に寄り添ってくれたこと、時間ずっと忘れない有難う。君よ、貴方よ、ずっとお元気で、歌をうたっていて。あなたらしく。

 

彼は、「人は変わる、変われる」と言った。私は感動してそして驚いたし、そうは到底思えなかった。人は変わらない、と思う、変わったようになれるだけで。彼のそう言えてしまう精神が好きだ。

彼は料理が上手で、私の話を聞くのが上手だ。時に笑ったり、ちょっと意地悪いことを言ったりする。わかるよ、とぶっきらぼうに返事する。

私は伝わったと感じるまで表現や物言いを変えては同じ話を繰り返す、伝わったと感じると胸の辺りがふわっとして安心して満足する。

彼はママになってくれた、概念のママ

私は甘えて心のままに思ったことを気にせず話す、そしたら、態度で抱きしめてくれる。

わたしが生きていく為に必要だったものだ

変わらずそれが二人にとって良いものであるように私は努力をしたい