死にたいと思うことは悪いことか

真っ当に生きてるから死にたい当然だよな

私の意見や考えを素直に晒して言葉を紡いだものに対してお前の行動理由にすんなやめろ

何でこんなにも私もお前もバカなんだろう。寂しがりやで解ってほしくて聞いて欲しくて抱きしめて、かわいいっていって欲しい

まずは私がわたしをかわいいって思う姿になりたい、そろそろ馬鹿だよもっと壊れてこ、いけるところまで。

繊細さなんてみせるべきじゃないな群がってくるだけ。優しさなんて、馴れ合いなんてうざいだけ

いい加減もう気づいてくれ自分。

何度同じ甘さを追いかけて血を流すの、いい加減にして、もう病気だから、諦めて。

人なんて信じるべきじゃない爆

私のこと出会って2日で好きと言い、彼女といい、待ち受けを私の写真にし、そして近くまで住むと言った男と会った、普通に楽しかったけど普通に死にたかった。

Zenlyという謎の位置情報アプリも共有して予定表も共有した、ただでさえ私は1人に固執するタイプなのにそれを許容できて管理できるやつなんてこの世に居ないのにも関わらず私は何度もその奇跡に近いものを信じて爆死してしまう最強のおバカだわたし。本を読もう今から買う。戸田真琴さんのあなたの孤独は美しい、選ばれる女におなりなさいをメルカリで購入した。

この部屋が好きだ、最高に。

今日は雨だ、憂鬱が増すが、多分雨だからではなく、憂鬱だから、今日は雨が降っているんだと思う。私が笑顔で過ごす日はいつだって晴れているからわかる。

私は風俗嬢になりたい、私の身体にお金を払ってくれる人を探したい、無理矢理な方法で一か八かで生きてきたし、そうやって復活してきた。

あとは行動だ。行動するのみ。頑張ろうと思う。

今太っているけど、痩せようとしたら太るので、もう今の私で同時進行で頑張ることにした。幸い肌は綺麗だ。良いスキンケアに出会ってピタッとはまったから。

どうしたって死にたさは消えない。それならもうとことんいくところまでいってやりたい。

この幸せを存分に享受するために自分を切り裂いて血塗れにしたいのだ。貴方にはきっとわからない。

私は君が好きだよ

君が、あなたが、きっと好きで、大好きで、死にたい。それが愛で、成長なんてしたくないな。進化したいだけ、別の形にボコボコにして造形するやり方の方が好きなのだ、生温いなんて、実弾を撃ちたいのだ。その為にお金だ。

旅が好きだ、何もしないで、ホテルで過ごすのが好き、その為にお金を払っても苦ではない。

今度は何処に、誰と泊まろうかな

お酒も好きだ、美味しい。酔いたい、君と。

たすけての先

私には好きな人がいる多分

好きと認められないが、そうなのだろう何故か心を乱されるからだデリケート部分、心の柔らかいところを掴まれて苦しくて仕方がないからだ、それが心地いいとかそんなものはない、ただ痛くて私が不健康で、そしてプライドが高いところがグチャグチャになってそれでもヘラヘラしてしまうタチで自分ではどうしようもないからだ。

話を聞いてほしい

それは私にとって息をするには酸素がいるように生きる上で不可欠なのだろう

ねえ、たすけてここにいるわたしを見つけてここまでおちてきて、わたしに微笑んで

恋に嫉妬する君は恋が好きだから、きっとわたしが好きなだけなのかもしれないから、だから苦しいんだ君は恋が好きで寂しいだけなのかもしれないからだわたしなんて、その目に映っていない、会って、その眼に在るものを私がみた時に死にたくなるのがこわいたすけてほしい

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今年が終わる

終わってしまってもいいやと思うくらいには何もしなかったし、何もしなくて良かった

幸せな1年でも有ったし、平凡な1年でもあった。

4月からは飲食店をやめて、海の前にある野菜屋さんで働き始めた。たくさん野菜を貰った、たくさん野菜を人に持っていってあげた。

挨拶を明るく元気よくするのを心がけて、人には親切に丁寧に、そして嫌な人にはより丁寧に 実行すると決めて過ごし抜いた。それだけは、頑張ったといえるな、

バイト先ではNさんとなかなか合わず、シフトが一緒になると帰ってから頭が痛くなったり、ちょっと気が重かった

だからこそ、真面目に取り組もうと思った

嫌な人や苦手な人はどこにでもいる、どこにいってもどこであってもどんなに同じ人間でも、合う合わないは存在していて、それぞれが、個が尊重し合えればとそれだけを願っている、否定をされたくない、だからこそ、否定をしたくない

させないでくれ、だから、私の内側に触れないでくれ と思ってしまって、それが強固になってしまう一年でもあったかも知れない

自分に素直になったからこそ、孤独が増した。

それでいい、

私は素直に、好きなものを愛していく人生にしたい

なるべく優しくありたい

それでいいし、それが良くてそれを望んでいる

 

ひとつのバイトも続けることで繋がりが広がるのを知った。大切なことだと思う

 

水辺を浮かぶような、ゆらゆらとゆりかごにいるような、遠くを眺めているような1年だった。

私はまだ生きている 死んでいない

当たり前を、噛み締めて漂う

 

私の場合、肩の力を抜いてクラゲのイメージで、その場の空気を読むのではなく、感じながら、漂って、優しく寄り添うこと。

決して、自分を削らないように、自分の生命を、自分の時間を、自分の優しさを、感情や思考を。

 

そんな1年だった そして、それを大切にしたい。

 

 

20210101

専門学校を3月に辞めてから、一年が経とうとしている。時の流れが長いような短いようなよくわからない歪みを感じる。9月からコメダ珈琲でアルバイトを始めた。きっかけは、父親から「お前はいいよな!俺も働きたくない、鬱になりたいわ」と言われてショックを受けたからだ。だったら、バイトしてやる!と意地になってその日に応募し、面接し、その場で採用され、トントン拍子に初アルバイトデビューしたのだった。店長が若くて、接するのに緊張したが真面目に丁寧にしていたら、馴染めるようになってきた。そして、初めてから3ヶ月が過ぎた。

元旦は忙しすぎて、驚いた。忙しいのは仕方がないが、意思疎通がなかなか取りづらい人からわかってることを指示されたり、言われた通りにやっていたら、〇〇してください!と言われ、言われてないことを〇〇やってください!と言われ、は!?ってなってしまった。

 

とにかく指示されると慎重になって合ってるのか何度も確かめてしまったり、見られている気がして、緊張してしまう。うつ病になって、人からの指示や圧力に弱くなった。

任されていた方が、のびのび、素早くかつ丁寧に出来る気がする。

意思疎通が取れないのに、指示だけされて、出来ているかどうかのレスポンスもない。不安だし、合ってるのかわからない、間違っててもこれはこうですよ、ありがとうございます、もない。

でも、これが普通なのだろう。

私が敏感過ぎたり、できていないからだと思う自分もいるし、相手だって自分と同じくらいであんまり素早くやってなくない?と思う自分もいる。

 

高校の時の友人から、明けましておめでとうとラインが来た。友人だと思ってくれてるのだなと嬉しくなった。

だけど、同時に死にたい気持ちが強くなった。

死にたいというか、不安?の方が正しいかもしれない。

なるべく、自分に優しく過ごそう。自分が悪い、と思うのはもうやめたのだから。

靖子ちゃんのカウントダウンオンラインライブは良かったけど、やっぱり現場に行きたいと強く思った。次はいけるように頑張ろう

2021年は自分に優しく、人にはされたら返すでやっていこう。

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今日、何度目かわからないカウンセリングに行った。カウンセリングの先生は結構若くて、男の人で、だけどふんわりした感じの雰囲気の人で、割と気に入っている。

先生は、私の話を時に面白そうに、ところどころ質問をしたりしながらも、基本的には私の話したい内容を聞いてくれる。

今日は、週に2,3度訪れる謎の発作のような落ち込みとその心理状態について説明して、話をした。いい加減、そういう落ち込みを毎度のように繰り返す夜をなんとかしたいという内容だったかな、

そう、これから普通に大人をしていくうえで、なおすべきところなのは、間違いない。

だけど、そうすべきだと思うのと、実際になおしたいと思うかはまた別で。

 

謎の発作の落ち込みは、急にやってくる。自分で自分の機嫌をとろうとするけれど、それはことごとく失敗に終わる。制御しようもない落ち込みが襲ってくるときは、本当に自分を押さえられない。それはとても危険だと自分自身感じる。

だけど、人前ではそれは出すことはない。だから、実際に危ない状況に陥った時に気づける人などいないだろう。

だからこそ、カウンセリングはとてもストッパー的な要素として、大切だと再確認した。

 

人のことを好きになることは、とても有意義で尊く、素晴らしい。

なのに、なんで自分はそれをどんなことよりも望んでいるのに、こんなにも曲がっているんだろう。心配や死んでしまってどれほど悲しむかで、好きかどうか図りたい、そうしないときっと不安で、疑い深いこの自分はずっと考え続けるんだろうと思う。やっかいで、付き合ってられない、自分が幼稚で浅はかな部分を今日は痛感した。

それでも、それが私なのだ、それでも、愛されるのだろうか、悲しいおやすみなさい。

Skypeちゃんねるwといのちの電話

すかちゃんといわれているSkypeちゃんねるwはSkypeのIDを公開し、色々な目的やコメントとともに通話相手を募集できる掲示板のことで、私は中学1年生から21歳のこないだまで、約8年ほどくらい使用していた。

 

使用する理由として、私は大抵夜寝る前に通話したくなることが多く、それも遅い時間であり、そんな時間に話せる人がいない、声を掛けるのが申し訳ないと思うので、募集をかけて来てくれた人と話す方がよっぽどお互いにとって良いというのが大きかった。

仲良くなると同じ人と何度も何時間も話すことも珍しくなかった。

その中でLINEを交換したり、実際に会ったりすることもあったが、大抵は一度きり会ってそれ以降連絡も取らなくなってしまう。

好意を向けられ、それに答えられないことが息苦しく、好意の理由が理解できず、また好意があるというのに行動がそれに伴っていない人が多くて、自分の価値観や考えに対しての揺らぎが起こり、しんどくなってしまうからだった。

 

こんな声でこんな顔でこんなふうに接すれば好きになってくれる人はいるんだな、という謎の理解が深まっていく中で、それを利用して通話をしてもらっていた。

マイナスな感情で埋め尽くされる夜に、いのちの電話ならぬ、すかちゃん募集をすることで、夜を越えるためだった。

そうやって自分の話し方や魅せ方を工夫して、相手に話を聞いてもらった。

マイナスな感情をかわいい語彙に変換し、言葉の数で量産することでなんとか感情を抑えて、弾丸のように相手に命中させていった。

言葉をバンバン撃つことで、自分を保っていた。そして、何度も何度も、死にたい夜を憂鬱な日を超えてきたんだった。

 

そんな私は、この前、すかちゃんでIDを悪用されて勝手に募集をされた。

しかも、ニックネームのところが本名になっていてそれが腹立たしいよりもちょっと悲しかった。だけど、私はどうしよう!となるまでもなく、勝手にやってろと思った。

全てに冷めてしまった、興醒めだ。

もう、すかちゃんやめよう、そう思った。

それからは早かった。アカウントを捨て、掲示板には悪用されていると書き込み、アプリを消した。

 

私にとっては、必要な存在の世界だった。

あの頃はあまりにも希望や救いが少なかった。

デメリットもあったが、必要悪のような気がする。死にたい夜を越えるために私なりに努力を繰り返してきたのを、私自身は否定しない。

 

あの頃、あの時、もう声も名前も何もかも覚えてはいないけど、他人の私に優しい言葉をかけてくれた人たちにとても感謝している。

死にたい夜を越えるのを手伝ってくれてありがとう。

今だって変わらず、そういう夜はあるけれどまだ出戻りせずにいられている。

 

あの頃の私にとって、Skypeちゃんねるwはいのちの電話だったよ。

もうかけることはきっと無くなるだろうけど、何か他の命をつなぐものを頑張って見つけるね。